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ギャラリーレビュー Archive
『アフリカ・リミックス』展
- 2006-08-02 (水)
- ギャラリーレビュー
森美術館の『アフリカ・リミックス』展、実は一年半越しでようやく見れたのです。
去年の春、ロンドンに行った折、テムズ川の南岸にあるヘイワード・ギャラリーで開かれていたのがこの展覧会。ギャラリーそのものもコンクリート打ちっぱなしの現代建築だし、ぜひ見てみたかったのだけど時間がなく、立ち寄ったのが前庭のスタバだけだったもので。
この夏5大陸巡回の一つとして東京にやってきたのを機会があれば見たかったので、まさにグッドタイミング。
アフリカの現代芸術作家は僕も知ってる人がなく(まぁ、語れるものも全然ないのだけど……)、どんな作家、どんなパックボーン、そしてどんな形を以ての表現なのかと思ったのだけど、まず思ったこと。赤い・熱い。
アフリカ大陸というもののイメージそのままなのかもしれないけれど、その風土はどの作品にも濃密に投影されていたような気がします。
そして、統治される側とする側……、植民地と宗主国という間柄の歴史を永く刻んでいたこのアフリカが、独立のうねりが渦巻いた1960年代以降急速に自らのアイデンティティを吹き返したのには、脈々と波打つ、たぎる彼らの血の温度があったからであることもひしひしと伝わってきます。
その証拠に、彼の地の赤い土を使ったインスタレーションがありました。その展示が写ったポストカードも買ったのだけど、洋館の一室のような室内の真ん中に赤い土が敷かれ、その中に動物の顔をした人間や、文明の象徴のような鉄の工作物(ただしひも付き、それを引っ張るのは覆面の男)等が点在している。
自らのバックボーンを投影し、この赤い土の上に体現させることによって、切り離すことの出来ない歴史や、今の自らの、自分たちの立ち位置というものを確認しようとする意思のようなものを感じました。
そして、写真作品が多かったのも特徴。
どのアーティストにも、ジャーナリストとしての視点があるように僕は受け取りました。
南アフリカのヨハネスブルグの、黒人居住区と白人居住区を隔てる、見えないようだけど明らかに感じるボーダーライン。
都市から集落に至るまで、そこに根を張って生きる人々。
コスチュームまで作って、今自らのコミュニティが置かれている状況を風刺も込めて自作自演するセルフポートレート。
・・・実際にその目で見たからこそ伝えられるものがある。その強さ、写真の力は、ドローイングやビデオインスタレーションとアプローチは異なれど、重みを持って……でもただ重厚すぎるものではなく、写真が集められた一角においてあるジュークボックスから流れてくる現代のアフリカ音楽(自分で選曲ができる)のように、どこか軽やかに体の中に入っていくような気がして、そこにもまた彼らの持つバックボーンの分厚さを見た気がします。
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鈴木利枝 写真展「維吾爾 −ウイグル族 心優しき民−」
中国の新彊ウイグル自治区。名前は聞くことがあっても、そこが複雑な問題を抱えている地域であることはそれとなく知っていても、そこに日々暮らす人々の姿を見ることはあまりない。
鈴木さんは大学4年生だが、在学中2回の中国での生活を経験している。学生として、また日本語を教える立場で、そして、旅人として。
作品にはマーケット、バザールを写したものが数多く見られる。ずんずんと彼女は人々の暮らしの息づく中に入っていくのだが、その姿は一介の旅人を越え、老人から子供たちまで、言葉を交わし、普段着の表情をカメラに向ける。
どこの土地に行っても、国に行っても、市場が持つ活気は変わらないものなのだと思う。
モノを売る人(おおよそはそれを作った人)、買う人が互いに顔を向き合わせ、手から手へと渡されていく光景には体温があり、言葉や風も感じることができる。
決して裕福ではない暮らし。言葉も風習も異なるこの地に対して北京(中央政府)が取る同化政策。
世界の牽引役に躍り出てきた13億人の超大国のひとつの顔としての姿も、そこにある。
でも、あくまでも僕の視点だが、彼らの顔に悲壮さは感じなかった。
彼らは自分たちが自分たちのサイズで、無理せず、しかし自らのアイデンティティを忘れずに生きていく術を知っているからではないだろうか。
街角も、風景もおしなべて土色だが、そこにあふれる自然、マーケットに並ぶ果物、生活用品、そこに集う人々の着るもの……さまざまな色の洪水がこの土地の精神的な豊かさを現しているように感じる。
写真には、「伝える」チカラがある。真実を見てきた人がモノにできるものがある。
■鈴木利枝 写真展「維吾爾 −ウイグル族 心優しき民−」
カフェ エスキス (札幌市中央区北1条西23丁目1-1 円山公園駅下車)
5/30(火)まで 12:00 – 24:00 (日祝は〜21:00 水曜定休)
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『伊藤隆道展 −光・動く彫刻−』
- 2006-05-15 (月)
- ギャラリーレビュー
札幌に住む人ならば、きっとこの方の作品を街で見たことがあるかもしれない。
北一条の三井住友銀行の角にある、水の波紋のようにも、花のようにも見える時計。
ステンレスのパイプが曲線を描いて流れ、くるくると回る姿は生きている印象を与える。
そんな伊藤さんの作品をひとつの場所で見ると、壮観だった。
中でも、自然光ではなく人工の光を使った作品が眼を引く。
カクテル光線を浴びた作品はまるで夜景を見ているようで、それがギャラリーという静かな空間で鑑賞しているからこそ、より”夜”を感じさせるのかもしれない。
天井や床に映る影も、動きながらかたちを変えている。
最後に展示されていたのは、その光までもコンピュータで制御して、ひとつのストーリーを作り出すような作品。置かれたベンチに座りながら、こんな風に思った。
伊藤さんの作品や、モビールのように、動く造形や彫刻はとても映像的だ。
最初はその全体像を俯瞰するように作品の世界に足を踏み入れて、やがてそれがどんな映像、物語を紡ぎ出すかを感じ取るように、細部が描くかたちに視線が行く。見る人もまた、作品に参加し、その一部になるような気がする。
それそのものも動き、作品が置かれた場所、光、音……動き続けるものを背景に置くことで生まれる、ドラマのような彫刻。パンフレットの裏に札幌の街にある作品リストがあったので、訪ね歩いてみたいな。
■5/14(日)にて終了 北海道立近代美術館
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山岸せいじ 個展『ツヅクコト』
DMをいただいた時から、作品の中に大きな広がりや時間の流れ、そしてタイトルのように続いていくもののようなものを感じていたのだけど、実際に作品を目の当たりにすると、そのスケールの大きさとともに、シンプルかつ力強いメッセージを感じた。
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今村育子 個展「my house – わたしのおうち」
円山のアメリカ領事館の手前、住宅地の真ん中に突然現れるコンクリートのキューブ、そこがCAI・現代芸術研究所。
僕も最近足を運ぶようになったり、ここで活動する方たちとご縁ができたりしている。
その友人たちや見に行った人々から”絶対行った方がいいよ!”とすすめてくれたのが、この個展。
DMには写真やイラストの類がなくて、かわりに壁紙のような木の葉の柄がエンボスされている。
「わたしのおうち」……、ここには部屋がしつらえられているそうだ。でも、DMの下には「会場は大変暗くなっております」という注意書きが。気になる。
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