クリスト講演会を聴いてきた

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建造物や樹木を巨大な布で”包む”プロジェクトを続けて来た世界的な環境美術家・クリスト氏。
2006年に宮の森美術館で展覧会を開いた時に一緒に来ていたジャンヌ=クロード氏が昨年の11月に急逝されてから初の来日であり、東京六本木の「21_21 DESIGN SIGHT」での個展の最中、ここ札幌に来られて講演会を開きました。
200人の定員ということで、向かっている途中Twitterで見た”満席状態”の様子に早足で到着するとまさにその通り。僕は最後列に立ち見で話を聞きました。

以下は終了後、帰り道にTwitterに書き込んでメモしたものです。

●「プロジェクトに入るに当たりまず必ず当事者…土地所有者、住民への説明を尽くす。その地の背景、歴史をも借りて作る。伝えること…コミッションワークではなく、自己資金で作る/誰も見たことのない、美しいものを作る。」

●(質問から)なぜドイツの議事堂を包んだのか?……「ベルリンは4ヶ国により分割統治されたが、唯一共同管理されたのが議事堂。でも壁が構築されてからは一つの建物すら分断された。私達が包むのはその土地や建物の内実。ブルガリアに生まれ、西側へ亡命した私が包むべきはここだった。」

●「今までに実現したプロジェクトは20。その陰で32の実現できなかったプロジェクトがある。バルセロナでコロンブスの像を包むプロジェクトは3人目の市長からやっと許可をもらったが,それは結局実行しなかった。この様に自らの意思でやらない選択もしたことがある。」

●展示地でのコミュニケーションについて……「プロジェクトに理解してくれる人もいれば、勿論反対する人もおられる。そんな人には、あなたのような方の存在こそが大切だと伝える。」「茨城の山中にアンブレラを立てた時には、土地の方から6000杯ものお茶をごちそうになった。」

●「私達は複数のプロジェクトを並行して進めて来た。実行地への委細を尽くし、実現できることになったらそこ一つに全てを集中する。前半はソフトウェア作り、後半はハードウェア作りであると分けて考えている。」

……以上、クリストさんの発言から思ったことは、『包むことは隠すことや飾ることではなく、内実を”見える化”することだ』、と。
彼らの作品には、その期間限定であることから来る”祝祭”感とか”ハレ”を僕は感じないのです。あくまでも、装飾と修飾のために包むのではなく、包むことでその土地の過去を可視化する。そこに至るまでの長い時間を含めて、彼らの生み出す光景は一作品を超える。
基本的に彼らの作品の展示(公開)期間は、僅か2週間。そして何事もなかったかのように、包まれた光景は包まれる前の光景に戻っていく。彼らの行為がその地の歴史そのものになり、ノンフィクションのドキュメンタリーとなる……。

なぜ”包む”のか。
恥ずかしながら4年前初めて彼らの存在と作品を知った時には何かピンと来なかったことが、今日の講演でつながった。そんな想いです。

来月の上京時、六本木、必ず行きます。


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