『ロスト・イン・トランスレーション』

「自分の居場所」って、なんだろう。その場の雰囲気から浮くような感覚に、しかも異国、しかも東京というとてつもない混沌の中で遭遇したふたりのアメリカ人の物語から、そんなことを思った。


僕は去年の夏札幌に来るまでの10年近くを東京で暮らした。スクリーンに映し出される渋谷や新宿の雑踏は僕の住んでいた吉祥寺から電車一本でたどり着く日常の光景だった。なにげに隠し撮りのゲリラ撮影(!!)で切り取られた地下鉄にだってしょっちゅう乗っていたし(……鉄ちゃんのはしくれとしてはツッコミどころ満載であるのだが)、スクリーンの中の東京は「よその街」というふうには見えなかった。ただ、なんだかんだ言っても地方出身者の僕にとって東京はまさに他のどこにも似ていない混沌の街であり、それはスクリーン越しに久しぶりに見た曲がりくねった渋谷の街角や、見上げる中に空というものの存在が見えない新宿の高層ビル群のそこここに容易に感じ取ることができた。

「外タレCM」に起用されてやってきた俳優と、ハードスケジュールな写真家の夫についてきた大学を出たての女の子は、この迷路の中にポーンと放り出される。うざったい撮影隊に辟易し、あるいはあてもなく街を彷徨い、夜になればホテルのバーでひとり飲む。ふとしたきっかけで、引き寄せられるように言葉を交わし、そこに「友情」とも「恋愛」ともつかない、不思議な『共感』が生まれていくのだ。それはまさしく、二人が意識しないままに探していた自分の居場所だった。

ふとしたきっかけが、着飾った自分を解き放つ。そういう時の人間が、実はいちばん素敵に見える。一対一の共感が、周りの雑音(……バックにちりばめられたちょっとした音のこだわりに感心!)を溶かしていく。これは恋愛のようで、だけど決してそうではなくて、やがて別れの時が来るのがわかっているとしても、一緒にいたい、感じていたいという、沸き起こる感情に正直になっただけのことなのだ。だから、この二人はこう語る。「二度とこの街には来ないと思う。今回ほど楽しくはならないから」と。

ソフィア・コッポラが東京で物語を書き、そして撮ろうと思った理由がわかったような気がするのは、僕がこの街の混沌の中に身を置いて、いまは「よその街」で暮らしているからかも知れない。仮にいまも東京に暮らしながらこの映画を見たとしたら、違った思いが生まれていたかも。

帰り道に買ったサウンドトラックを聞きながら、思った。
僕も気がつかないうちに、『共感』=『自分の居場所』を探しているのだ、と。

……くぼちゃんにもオススメしたい(笑)

http://www.lit-movie.com/


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2 Responses

  1. 「ロスト・イン・トランスレーション」

    TBありがとうございます!
    言葉の通じない外国の小さな街で取り残されたような孤独感、
    やっと出会えた日本人も別のところを見ていた・・・
    そんな時に感じた寂しさを思い出さされた作品でした。

  2. 豊平橋停留所 より:

    こちらこそ、突然お邪魔しました。
    サントラを毎晩聞きながら思い出してますよ。でももっと深いメッセージがあるような気がして。
    もう一度見に行きたいです。

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